いあってたけからず<意味>威厳はあるけれども、決して荒々しくないこと。
孔子の人格を弟子が評した言葉で、人格者に必要な人柄・態度についていう言葉。
出典:論語
そもそも威厳のある人物であれば、周囲に対して怒る場面はなかなか出てこないので、荒々しくなることも無いでしょう。何故なら、威厳のある人格者に対しては、周囲は一目置き、その人のために最善の努力を尽くすからです。威厳が無いからこそバカにされ、軽く見られ、その結果荒々しく怒る羽目に陥るのだといえます。
例えば仕事のとき、部下がつまらない失敗を繰り返すとします。理由を考えるに、上司か仕事そのものをなめているから、そのようなことが起こるのだと言えます。同じ間違いを繰り返すということは、注意されたことを重要視せず、軽んじているので起こるのだと思います。上司または会社に対する尊敬が足りないのです。
もしも、上司が
威あって猛からずであれば、そんなことは起こらないに違いありません。しかし、部下が失敗を繰り返すのであれば、その上司は
威厳が無くて荒々しい か
威厳が無くて荒々しくも無いのどちらかだといえます。
いずれにしても威厳はありません。
しかし、まれに部下本人の資質にかかわる場合があります。その場合は、ついてないねと言う他ありません。しかし、資本主義社会において、そのような無能な人間は、自然と淘汰されるはずです。
凡人が
威あって猛からずな人間になることは大変難しいです。私などは怒ると、ドカンと怒ってしまいます。そのような爆発的な怒りは、ごく稀に効果がある場合もありますが、たいていはマイナスの働きをします。つまり、恐ろしさに相手が萎縮してしまい、ますます働きが悪くなる。または、「何だこいつ」と反感を買い、ますます働きが悪くなる。ということは、ドカンと怒ることは逆効果であるといえます。
しかしながら、小さい子供や動物に対しては、ドカンと怒ることが有効な場合も多いのです。
人生において
威あって猛からずな人格者と会う機会はとても少ないと思います。私も結構生きていますが、
威あって猛からずに近い人物は、今までにひとりしか見たことがありません。
威厳がある人や
荒々しくない人であれば、わりと見つけやすいのですが、その両方を兼ね備えている人は少ないものです。
しかし、それが仕事においても人生においても上手くいくコツならば、努力してそのような性質を身につけるべきです。
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