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一日ひとつ、ことわざ・格言を取り上げ、例をあげながら意味を考え、覚えるまで繰り返し、ひとつ利口になるブログ。
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おんなはいしょう、かみかたち

<意味>
女性は衣装と髪型によって見違えるほど美しくなれる。女にとって衣装と髪型はそれほど大切なものであるということ。

今日は趣向を変えて、女性の容姿について鋭いところを突いたことわざです。
女は洋服と髪型で美しくも醜くもなるということですね。
女は衣装、髪かたちと聞いて思い出すのが、最近の日本のテレビに出ている女優さん、アイドルタレントの類です。特にアイドルタレントのハードルは低くなっており、モーニング娘。などは女は衣装、髪かたちの権化のようなものでしょう。髪の色を染めたり、顔の欠点を修正するほどの濃い舞台メイクをしたり、スタイルをよく見せる衣装を身に着けたりして、普通の女の子が、憧れの存在となっていきます。

それを言い出せばきりがなく、例えば自分で自分を美女だと思っているらしい神田うのさんも、あのゴージャスな髪型とゴージャスな衣装がなければ、美しいとは言えない女性であり、女は衣装、髪かたちの見本と言えるでしょう。ポリネシアン人形のような顔立ちは可愛いし、スタイルは抜群なのですが。(注:私はうのさんの大ファンです)

うのさんと比べるのはふさわしくありませんが、グラビアから出てきた女性たちの中にも、女は衣装、髪かたちという人がたくさんいます。美女と思われてはいないかもしれませんが、MEGUMIさんはその代表選手と言っていいかもしれません。

ある意味では、叶姉妹女は衣装、髪かたちだということが出来ます。あの衣装がなければ決して叶姉妹は有名にはならなかったわけですし、髪をショートにしてセーターと膝丈スカートでもはかせれば、普通のおばさんです。

以上の考察から、女は衣装、髪かたちということを知っていれば、普通の女性でも自分の容姿を底上げすることが出来ることが分かりました。
やはり知識は力ですね。




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きみ、きみたらずといえどもしんはしんたらざるべからず

<意味>
主君が仮に主君としての道理を心得ず、徳を持っていないとしても、臣下は何処までも臣下としての道を守って、忠義を尽くさなければいけないということ。

これについてまず始めに思い起こされたのが年功序列という言葉ですが、これは、「年齢や勤続年数の多少によって地位の上下をつけること」なので、若干違います。つまり、年功序列には少なくとも、年齢や経験という付加価値があるものに対して忠義を尽くそうというシステムだと思うのです。それに対して、君、君たらずと雖も臣は臣たらざるべからずの場合は、主君の年齢、経験、能力というものは問わず、ただ主君であるだけで忠義を尽くさなければならず、非常に疑問が残ります。
昔だったら、織田信長のような天才かもしれませんがひどい暴君もいましたし、君、君たらずと雖も臣は臣たらざるべからずを守るのはなかなか大変だと思います。
現代でも、能力主義というのが一般的になってきて、例えばライブドアの元社長なども、30歳そこそこの若さで、ちょっと偏った考え方を持ち、挙句の果てには不正をしていたかもしれないと逮捕される程ですが、それでも社員であれば社長に忠義を尽くさなければなりません。
また、王族・皇族のように、人の上に立つように生まれつく人たちもいます。その地位が尊敬に値するのであって、人物はどうでもいいということになります。ですから、「地位にふさわしくないから尊敬しない」などというのはしてはいけないということです。

君、君たらずと雖も臣は臣たらざるべからずということわざを聞いてはじめに思い出したのが、私の夫のことです。夫は、心では尊敬できない上司であっても、決して態度には出さず、上司として尊敬の態度を崩さないところが、私と違い、すごい才能だなぁと思います。サラリーマンであれば、この才能がなければやっていけないでしょう。
一方の私といえば、地位が上だというだけでは絶対に尊敬などせず、心の中ではぼろくそにけなし、最後には態度にまで出てしまうので、お話になりません。サラリーマン(OL)をやめて正解です。

君、君たらずと雖も臣は臣たらざるべからずということをまとめると、例えば皇族を尊敬しなさいというのは、昔から日本人が敬い大切にしてきたシステムそのものを侮辱することはやめなさい、ということではないでしょうか。

また、一般社会においては、いずれ自分が主君になった場合にはそれが返ってきますから、自分のためにそういうシステムを守りましょうということなのかもしれません。





まなびておもわざればすなわちくらし

<意味>
いくら学んでも、自分でじっくり考えてみなければ、真の理解につながらないこと。
注:「罔し」は暗いの意味

英語では、Learning without thought is labor lost.(思考を伴わぬ学問は徒労である)
私が常々思っていたことを非常に端的に表現していたので、これを選びました。
自分に学ぶ気が無ければなにごとも身につかないということですね。例えば、受験勉強で日本史の年号をイヤになるほど覚えました。1600年関が原の戦い、などがそうです。しかし、年号を覚えることよりも、その与えられた情報から、どうして関が原の戦いは起こったのだろうか、実際に関が原でどんなことが行われたのだろうか、徳川家康はどうやって勝ったのだろうか、そういったことを考えることが、真に関が原の戦いを理解したということになるのです。

暗いという言葉には「物を弁別する智力がない、暗愚である」という意味もあります。智力がない、暗愚である人生は恐ろしいです。もしかしたら、自分が生きていることにも気づかないうちに終わってしまいそうな人生です。そういう人生を歩まないためにも、自分の頭で考えよう。
そう思いました。
ききゅうそんぼうのとき

<意味>
危険が目前に迫り、生きながらえるか滅びるかの岐路に立たされている重大な時。

注:「秋(とき)」はきわめて重大な時期という意味。



FIFAワールドカップが開幕し、日本対オーストラリア戦が終了しました。
誰もが自分の目を疑った日本の敗北、しかも3失点という予想もしなかった完敗。
残るは世界最高峰のブラジル、強敵クロアチアが残るのみであり、今の日本チームはまさに危急存亡の秋と言えます。
次も負けたらもう後は無いのです。終了。

大和魂を見せてくれるのではないかと期待しつつ、クロアチア戦を応援したいと思います。

うのまねをするからす

意味
鵜は水にもぐって魚を捕るが、もし烏が鵜の真似をして水にもぐって魚を捕ろうとすればおぼれてしまうということから、「自分の能力をわきまえずに人まねをすると失敗するよ」という意味。

(CASIOの電子辞書EX-wordを参考にしています。以後、ことわりの無い限り、全て同じ)

今まで、時事問題、スポーツ、皇室などの問題に口を挟み、愛国の立場から何かしらのコメントをたたき出す「日本の中心で真実を考え続ける」というブログをやってきましたが、これは鵜の真似をする烏となりつつあり、危険を感じました。
時事問題についてコメントするというスタイルは、ブログの中でも大変多く、普通の日記であっても時事問題に触れている人は多いようです。これの何が危険かというと、付和雷同の恐れがあることです。多くの読者を得るために、一番主流となっている考え方に近寄る危険があります。
また、皇室問題については、熱心になるあまりに、皇族に対する不敬な言葉がみられます。
また、普段慣れ親しんでおらず、知識もほとんど無いスポーツ分野では、ほとんど読むのもおそろしいことを書いて、自分で自分の首を絞めています。

そんなわけで、自分のためにも、また読んでいる人のためにもなるような文章で、なおかつ分相応な文章を書こうと思い、このブログを立ち上げました。
まだスタイルは確定していませんが、一日ひとつのことわざ・格言をとりあげて、自分の経験や考えを交えて説明していきたいと思います。
よろしくお願いします。

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